考えること

ずっとここまで頑張ってきた。

言葉だけを信じて、恐れながらもその中に光を見るようにして頑張ってきた。

でも今、この先を頑張る力が湧いてこない。

 

その理由の1つは言葉。

刺さるような言葉をもうこれ以上、家の中で聞きたくない。

命令、嫌味、人格否定、押し付け。

いつも笑顔もなく明るい話もなく、ただいま・おかえり・行ってきます・ありがとう・ごめんなさい・美味しいね・大丈夫?そんな声がけもない。

朝起きて朝ごはんがなければ、早く作れよ・何してんの・いつ作るのと真顔で言われ、

子どもの寝る時間が9時を過ぎれば

まだ歯も磨いてないのか、何時だと思ってるんだと責められ。

子どもが父に反抗すれば私にそっくりだと言われ

過去に伝えたことも、聞いてない・私が勝手にしているだけと言われ

 

仕事を選んでいる場合でないのに

その時間が子どもたちの就寝時間と被りそうになれば

仕事は止めろと言われ(本人は家にいるのに)

 

折角の大きな仕事の縁ができそうな時にも

そんな仕事はここではするな

いいおばさんが、そんな話をまともにしてと嫌味を言われ

 

過去にしてきた約束もまるで覚えていない様子。

子供の進路に関しても、見学に行く予定の学校は全て伝えているし、予定も話しているのに、親親戚には私が勝手に決めていると話しているように見受けられる。

その前に、早く東京に帰れよ・勝手に決めろよとは何度も言われているのだけど。

 

この先、何を信じて良いのかどこに光を感じれば良いのか見えなく苦しくて悲しい。

子どもたちから離れて仕事をすることは寂しく、やはり一緒にいたい気持ちもある。

でも今、貯金が徐々に減り夫の収入も全く変わらない中で、少しでも働かなければ子どもたちの笑顔がなくなりそうで困り、それは割り切って自身のためでもあると考え、働こうと思う。でも現実的に夫には定職についてもらわないとならない中、小さな子どもを抱えての仕事は時間の制限もあり、誰かの力を借りなければ今後は難しいと思う。

義母が入院となってしまった今、娘として義母に孝行したい一方で、何とかこれからの道を力強く築いて行かなれけばとの思いもある。

本当ならば私学に子どもを入れることは状況を更に圧迫させるのかもしれないけれど、これまで頑張ってきた子どもの可能性を親のせいで違う方向に進めさせるのも本望でないし、何よりも愛しい子どもの道だけは何としても助けていきたいと思うのと、それをすることが今の私の生きる希望なのです。

 

ただ、このままの状況下でこれ以上、耳鳴りや聞こえが悪くなる耳元で言われる否定的な言葉や長女に発する理不尽な言葉を聞き続ける勇気は、残っていないように思える。

 

 

どうしたら良いのか。

どう進んだら少しでも皆の笑顔が多い道になるのか、

未来はこの目で見ないときちんと進めないので見定めなきゃと思う毎日です。